施設について
駐車場
20台程度駐車できます。駐輪もできます。



庭・玄関
靴を脱いでおあがりください。


受付
差支えなければ、お名前の記入をお願いしています。

礼拝堂
お好きな席にお掛けください。


お手洗い


教会の歴史
竜丘キリスト教会は正統的なプロテスタントの教会です。小さなお友だちから、お年を召された方々まで、気軽に通うことのできる教会でありたいと願っています。

竜丘キリスト教会は、基督伝道隊 竜丘基督伝道館として、1924年10月に設立されました。
竜丘村で子どもたちへの伝道は、1909年には日曜学校というかたちで行われました。このことに中心的に仕えてくださった方に小林洋吉氏がおられます。
この方は、1873年に生まれ、1890年代飯田美以教会(メソジスト教会)にて洗礼を受けました。
この方は、英国人宣教師バックストン師との出会いの中で、自らの胸に「これでも生ける信仰か」と飢え渇き、求め、悔い改めて、そして下伊那の地にあって、多くの人々に聖書のみことばの希望を届け、キリストのもとに導かれ、神に用いられた方でした。

その小林洋吉氏と親交しておられた方に、小島良造氏という方がおられました。
この方は、小林洋吉氏から入信を勧められても決して応じなかったのですが、一人息子の譲氏が日曜学校へ行きたいと願い、親として自分自身でその宗教に間違いがないか確かめに行き、その後、譲氏を日曜学校へ行かせるようになり、自分自身も一緒に導かれ、信仰への道に進むようになりました。以降、自宅(清水家)を開放し、クリスチャンホームとして多くの人に愛を注ぎ、受け入れました。

彼は、18歳で教職につき、20歳で正教師となり20年間教師として勤めましたが、息子、譲が病となりました。その時、バックストン師を通して救いに導かれ、伝道の働きに用いられた柘植不知人師を招き、息子の癒しのために祈っていただいたのでした。譲氏はその後、魂の癒し、永遠のいのちをしっかりと握り、24歳で天に召されました。
父である良造師は、息子の召天後、活水学院へ行き、そして牧師となりました。譲は天に召される前に、愛していたオルガンを、その時まだなかった竜丘教会に献げると遺言して天に召されました。その後、竜丘基督伝道館が誕生いたしました。聖書にはイエス・キリストが言われたことばにこのような御言葉があります。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」ヨハネの福音書12章24節
確かに実が結ばれ、教会が誕生し、今も教会で礼拝が献げられています。そして私たちもまた、一人でも多くの方々がこの永遠に終わることのない希望に生きることができるように祈りつつ竜丘の地にあってこの希望を届けていきたいと祈っています。
所属について
私たちはキリスト伝道会「活水の群」という伝道団体に所属しています。この始まりは、基督傳道隊です。
基督傳道隊は柘植不知人先生の自叙伝『ペンテコステの前後』に不思議な神の摂理により、人為によらず、御霊の導きにより、組織されたものである。と書かれています。
その本旨は、「きよめ」がただ教理に陥り、きよめられたと称する自我が中心となって歩むのでなく、きよめられた自己を更に神にささげ、すべてがキリスト中心になり、ただ活ける神の聖言に立ち、御霊の導きを仰ぎつつ、従うことであるということです。
今、この群は、聖書のみことば聴き、祷告の祈りを大切にし御心を求めて礼拝を大切にし進んでいます。
「主の祈り」と「使徒信条」
主の祈り
「主の祈り」とはイエス・キリストが教えてくださった祈りです。
主の祈り
ねがわくは 御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いいだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン
使徒信条
「使徒信条」とは「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
使徒信条
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
アーメン
